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ムーティ指揮 ローマ歌劇場東京公演 5月27日 『シモン・ボッカネグラ』 Simon Boccanegra by Maestro Muti in Tokyo [オペラ]

20140527a.jpg 一大決心をして、大枚をはたいて東京まで行ってムーティのオペラを観てきました。ああ、よかった。今までの引越公演の中では一番良かった。感動も覚めやらず、その感想をしたためないではいられないので、今帰宅してすぐに書いています。

ヴェルディ 『シモン・ボッカネグラ』
 プロローグと第3幕のメロドラマ
 指揮: Riccardo Muti
 Simon Boccanegra-George Petean (br)
 Maria (Amelia) -Eleonora Buratto (sop)
 Gabriele-Francesco Meli (ten)
 Fiesco-Dmitry Beloselskiy (bs)
 Paolo-Marco Caria (br)
 ローマ歌劇場管弦楽団・合唱団

 私のもう一つのお目当てだったFrittoliが直前でキャンセル(もうFrittoliは3回もキャンセルされているのできっと縁がないのでしょう)。でもやはり第一はムーティです。CDを聞いてもあれだけパワフルな音楽を引き出す人、オペラにおける指揮者中心主義を貫いている人ですし、キャストだってすべて彼のお眼鏡に適っているはず。指揮者中心で観る演目を決めるのは初めて。
 
 ムーティの音楽は、もうこれ文句なしです。痒いところに手が届くって感じです。オケはそれを100%生かせているのかというと、そうでもなさそうなのですが、ムーティの指揮を観ているとどうしたいのか本当によくわかるものでした。ただの歌の伴奏という感じでは決してありません。ムーティは観客が拍手する箇所も考えてあるようで、曲を無理につないでいくと言うことはありませんでした。
 歌手で一番感激したのはGabrieleのMeliです。スタイリッシュで音質が乱れない。しかも感情がしっかり表現されていてこちらまで伝わってくるし、それに何より、声に無理がないのに本当によく聞こえる。彼が歌う度に感動してしまいました。
 Petean(Simon)はとっても明るい声のハイ・バリトンで、とても誠実に歌っていました。時々声が疲れて聞こえる時があるのですが、本当によく歌っていました。
 Beloselskiy(Fiesco)もとても丁寧な歌で、日本ではあまり聴けることのないしっかりと響くバスで、彼の歌もどれもとても楽しみでした。Simonとの2重唱も天国にいるような気分で聴くことができました。
 Paolo役が巧いと善悪のコントラストがはっきりして、このオペラは本当に味が出てくると思うのですが、Cariaは歌も芝居もとても巧く、物語をしっかりとしめてくれていました。
 Buratto(Maria/Amelia)は、とても声が綺麗なのですが、息が比較的短くて変な箇所での息継ぎが気になったのと、高音を出してアンサンブルをきめなければいけない時、とってもよくがんばって出そうとするため音程が上ずって聞こえてきて、私には少し興醒めでした。これがFrittoliだったらどんなにいいことかとは思いましたが、今更ながらのお話しです。
 それとオペラグラスで観ていると、どの人もとっても若い!やっぱし若い歌手って見た目はとってもいいですよね。
 他の人のブログを見ていると、合唱があまり巧くないと書かれていましたが、私にはとてもよく聞こえました。パンチがあるし、しっかり指揮者に統率されているという感じでした。

20140527b.jpg ムーティが颯爽と現れて、大好きな第1曲が始まります。幕が開くと舞台はジェノヴァの聖ロレンツィオ教会を彷彿させる黒と白の大きな建物の中です。昨年の夏にジェノヴァに行ったところだったので、見慣れた場所が出て来てとても嬉しかったです。イタリアの歌声がホール一杯に響き渡ります。Fiescoのアリア、特に後半、舞台裏からのアカペラ・コーラスを伴う部分、生で聴ける喜びを思わず噛みしめてしまいました。合唱もとっても巧い。FiescoとSimonのデュエットも格好いい!
 プロローグと第1幕は25年離れているわけですが、幕間休憩なしで、約5分くらいの待ち時間で始まります。大好きなAmeliaのロマンツァ。Gabrieleの声が舞台裏から聞こえてきて、Ameliaも待ち焦がれていたのでしょうが、あんまりMeliがスタイリッシュな声なので、私も期待で胸が高鳴りました。海のほとりの大邸宅のテラスという設定のようですが、大きな鎖が家の上からぶら下がっていました。このオペラで一番好きなナンバー、SimonとAmeliaのデュエットもアングリと口を開けて聞き入ってしまいました。Ameliaの最後の"Padre"という高音はもう少し力が抜けた音で聞きたかったですが...。その後のPaoloとPietroの短いパッセージは、アッバードのCDだととっても小気味よいテンポで進むのですが、ムーティは案外ゆっくりでした。
 第1幕フィナーレの場面転換も約5分くらい待ちます。本当にたくさんの人達が舞台上に現れて、音楽も否応なしに劇的に盛り上がります。あんまり人が多く、舞台からオケピに落ちないかなぁと思ってしまいました。最後の大コンチェルタートでも、もちろんSopranoの高音は目立ちますが、Meliの声がいつもしっかり聞こえてくるのには感銘を受けました。
 第2幕にはGabrieleのアリアがありますが、今回のアリア後の拍手で一番長かったのではないでしょうか。安定した音質とスタイリッシュな歌い回し、本当に感動しました。Simon、Amelia、Gabrieleの三重唱も緊張感のあるもので、本当に耳の保養となる響きを楽しめました。
 最終幕は、聞く前から思い入れが強すぎて、感動感動。どうか終わってしまわないでと祈るばかりでした。Paoloが婚礼の合唱に伴われて歌うソロは、Cariaの演技力も相まって悲劇的で良かった。Simonのソロも格好いいし、SimonとFiescoのデュエットは本当に涙ものでした。そして最後の大コンチェルタート。Simonの最期の場面もとても人間的でよかったです。

 1月にアッバードが亡くなった時にも書きましたが、私がオペラを初めて聴いたのは高校2年生の時にスカラ座が引越公演にやってきて、その公演をNHK放送で見た時からです。その時アッバードが振ったのがこの『シモン』。それから遅ればせながらLPを買って聴き、それ以来ずっと大好きなオペラです。それからガヴァツェーニ指揮のCDやら、アッバードのパリ・オペラ座ライブを買ったりしましたが、そのLPが私の『シモン』原体験で、ドミンゴがタイトル・ロールをやったので興味本位にメト版、ロイヤルオペラ版、スカラ版の3種を買いましたが、もうアッバードのLPが私の中で不動の地位を占めていました。でも今回のようにソリストがハイレベルで、指揮者が隅々まで統率をとった演奏となると、やはりただものではありませんでした。
 水曜の夕方で値段が値段なのに、席はほぼ満席。この気持ち、本当によくわかるし、みんな私と同じように満足しきって帰って行かれたことだと思います。そうそう、テノールのSabbatiniも客席で聞いておられました。

 オペラが終わった後も興奮はいつまでも覚めやりませんでした。
20140527c.jpg

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クラウディオ・アッバード(アバド)追悼 Claudio Abbado [オペラ]

 2014年1月20日、イタリアの指揮者クラウディオ・アッバードが亡くなりました。
 自分のブログを書くのはとても久しぶりですが、アッバードが亡くなったことは少し衝撃ですし、インフルエンザで出勤禁止も今日で最後で、体はいたって普通なのに家を出ることができないので、今の気持ちを書きとどめておきたいと思いました。

 アッバードを知ったのは1981年のスカラ座が日本に来日した時です。もちろん高校生の私がその公演を観にいける訳でもなく、ましてオペラをそれまで観たことのない私には、NHKで放送されたテレビを観るだけでも十分新しい体験でした。その時はカルロス・クライバーも同行していて、作品もアッバードが「シモン・ボッカネグラ」「セヴィリアの理髪師」、クライバーが「オテッロ」「ボエーム」で、オペラ初心者で若輩者の私には、悲劇かつ有名なものにより関心が高かったので、クライバーの2作品の方がずっと感銘を受けていました。アッバードの2作品は観たもののもう一つよくわからないというのが正直なところでした。
 しかしそれからなけなしのお小遣いで、年に2つというペースで少しずつオペラLP(当時新譜は一枚2800円、廉価版で一番安いものでも一枚1500円)を買い集めて行くと、アッバードに対する見方が変わっていきます。初めてアッバードのLPを買ったのは高校3年生になった時で、「シモン・ボッカネグラ」でした。当時あまり有名でないオペラだったけど、来日公演の時にテレビで観ているし、名盤の誉れ高いLPだったので買おうと思いました。なんせ家に聞くことができる他の音源がなかったので、このオペラはどれだけ聴いたことでしょう。今では一番好きなオペラの1つです。その後アッバードのレコードは、できればスカラ座と共演しているのが欲しかったということもあって、「マクベス」「仮面舞踏会」「レクイエム」と立て続けに買って聞き込みました。アッバード熱が自分の中でも高まっていたので無理してでも新譜も買いたいと思いましたが、ちょうどその当時CDが売られ出した頃でオペラはLPよりもずっと高かったので買えず、レコード芸術のレコード評などを一生懸命読んでその曲の代表的な録音(「アイーダ」は旧カラヤン盤、「ドン・カルロス」は新サンティーニ盤という風に)しか買えず、アッバード盤は諦めていました。それでも、本当によくレコードを聞き込んだ時期だったので、私のオペラ基礎の大半はこのアッバードに仕込んでいただいたということになります。

 「シモン・ボッカネグラ」はもう30年以上聞いていることになります。最近ドミンゴがバリトンの主役を歌い出し、このタイトル・ロールも歌っているのでそのDVDを買って観たりしていますが、やはりこのアッバードの演奏とは比べものにならず、忘れられません。今では、プロローグと第3幕にあるカップッチルリとギャウロフのデュエットなど、本当に心にしみて大好きですが、30年間変わらず大好きなのが第2幕のフレーニとカップッチルリの2重唱です。歌手もさることながら、アバドのオーケストラの盛り上げ方がとても上手く、何度聞いても胸が熱くなります。ライブ映像などで観るとあまりどれもうまく聞こえない幕切れのコンチェルタートも、フレーニの上手さも相まって本当に感動的で、未だに聞くたびに涙が出ます。


 「仮面舞踏会」には当時まだ「これ」とされる録音がなく、モノラル録音を敬遠していた私にはカラスのLPを買おうと思うこともなかったので、当時新譜だったアッバード盤を買いました。LPジャケットはこれとは違って、ドミンゴが座っている全身を正面から撮ったものでした。「シモン」や「マクベス」とは違い、どこか乾いた音がする録音でしたが、上手いドミンゴと若々しいリッチャレルリ、それにとってもノーブルなブルゾンと、これも本当に聞き込んだ録音です。リッチャレルリの2つのソロ(2幕の大アリアの盛り上げ方、3幕のロマンツァの演歌調のしっとり感)を聞いても、アッバードって上手いなぁと思っていました。

 後々、CDを買う余裕も出てくる歳になっても、その頃の志向が大きく影響し、イタリア、それもヴェルディとプッチーニを中心に聴いていましたので、アッバードのロッシーニを買うのは随分後で、こ10年くらい前のことになりますが、オーケストラ曲自体にあまり関心がなかった私には、他のアッバードの録音はあまり興味がなかったかもしれません。唯一、ブラームスの交響曲全集が欲しい時、北ドイツの雰囲気をあまり好まない私は、「よく歌う演奏」という触れ込みだったアッバード+ベルリン・フィルの当時新譜を買いました。これは未だに好きで、たくさんある他の名演に気が移ることなく、よく聞いています。特に1番の第2楽章が好きで、他の指揮者のだとがっかりしてしまった覚えがあります。


 ヴェルディのレクイエムは、金のイエスの十字架磔刑像の衝撃的なジャケットのLPを大学生の時に買って聞きましたが、当時所属していた吹奏楽の仲間から、よくそんな退屈そうな音楽聴くなぁ、と言われたのを覚えています。レコード針を下ろすと、じりじりという針の音の中にかすかに弦の下降音型が出てきて、合唱のつぶやきが出てくる始まり、いつも息をのんで緊張しながら聞いていました。CDに最初の弱音から静寂の中にしっかり聞こえてくるので、その緊張感も薄らいでしましたが、少し荒削りの合唱にとっても巧いソロ4人がお気に入りで長く聞いています。その後、ウィーン・フィル盤もベルリン・フィル盤も買って聞きましたが、リベラメがどうしてもスカラ盤の呪縛から逃げられず、しかもスカラ盤のジャケットの美しさにかなうことなく、2・3回聴いてお蔵入りしてしまいました。しかしこの曲がこれほどテレビのバラエティ番組で使われるようになるとは思いませんでした。(ちょっと曲の内容を勘違いしてるかとも思いますが、みんなが知ってくれるのはいいことでしょう。)


 私とアッバードとの関わりを徒然に書かせてもらいました。若い頃の溌剌としたかっこいい姿ばかりが思い起こされます。胃がんで亡くなったと聞き、きっと大変な思いをされたことだろうと思います。あらゆる痛みや苦しみから解放され、彼の魂が主のもとで永遠の安息を得られますようお祈り申し上げます。

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『清教徒』 ボローニャ歌劇場公演 (びわ湖ホール) [オペラ]

puri01.jpg フローレスの突然のキャンセルが悲しくて、今日のびわ湖ホールへの足取りはとっても重く、嫌な気分でした。色々なことが頭の中を巡り、嫌な気分がスパイラルになっていました。来られている方々はそれほど怒っている様子もなく、ロビーではキャンセルで来ていないフローレスのDVDが売られている...。メトロポリタンのキャンセル騒ぎよろしく、全員にプログラム配布(うちは家族で2冊もゲット。ありがたや、あなありがたや)。そしてまず最初に歌劇場総裁からの謝罪の辞。聴いていて体が震えるほどの嫌悪感。メト公演の時のようなブーイングもなく、拍手のうちに曲が始まりました。
 そんな私も、序曲が終わり、合唱が始まると心も緩みます。あぁ、イタリアの声、やっぱしイタリアの声は違う...。それからというもの、至福の3時間でした。今回の公演は、かなりのハイレベルで、結果的にフローレスが歌っていなくてもよいかと思える内容でした。

 まず一番感激したのはヒロイン役のランカトーレです。最初登場した場面は音質が不揃いで「あれっ」っと思いましたが、歌い進めていくうちにそれもなくなっていきました。ただ、低音で胸声を使って歌う音が平べったくてとても耳障りな時がありました。しかしそれはアウフタクト部の音に多く、中音以上の音にはなかったので、しかたないのかなぁ。次に聴ける機会があれば、この音がなくなっていたらいいなぁ。
 それを除いては、コロラトゥーラもカンタンテの部分も本当に巧い。声もとても深みのある柔らかいいい声です。2幕の狂乱の場、今回の公演でフローレス・キャンセル後に使われていた宣伝の「ランカトーレ・カデンツツァ」って、この狂乱の場での2回目のヴァリアンテのことだそうで、そのヴァリアンテは、これもまた巧い。安定しているしよく響いている。しかも寝転びながらの無理な姿勢での歌唱。とってもスリリングで楽しかったです。勿論3幕でのアルベロとの二重唱もツボをよく捉えて歌う姿は憎いばかりです。それに幕切れ...。
puri02.jpg アリアや二重唱が終わるごとに盛大な拍手喝采をもらっていましたが、特にカーテンコールでは本当に嬉しそうで、主要キャストと手をつないでは、舞台前面に走り出てくる様子は心からこの公演を楽しんだという感じでした。ああ、ランカトーレ、なんと素敵な人なんだぁ。見た目もとてもチャーミングな人でした。

 その次に感動したのはテノールのアルベロ。今や世界のフローレス(日本の歌手に不義理しても、世界にはたくさんのファンがいるから大丈夫とでもいいたげな不遜さ)の代役となるとプレッシャーも大きかったでしょうが、このアルベロ、とっても綺麗な声と端正な歌で、歌い出しから気に入ってしまいました。登場のソロのハイDisを聴いて、あぁ、と、本当に胸をなで下ろしました。勿論たくさんの拍手をもらっていましたから、ご本人も安心されたんじゃないでしょうか。 
 声量がある人ではありませんでしたが、3幕冒頭のソロも端正な歌唱を聴かせてくれますし、ランカトーレとの二重唱ではハイD2回を出しながらも朗々とした旋律美を披露してくれました。また最後のコンチェルタートでは、出ましたハイF(家に帰ってからフローレスのDVDで確認しましたが、それより高い音でした)。ファルセットを使うことなく出していましたよ。しかしテノールのハイFって、もう人間の声ではないような凄い声ですね。勿論高音ばかりではありません。しっかりとアンサンブルのバランスもよく、いやはや、本当にいい歌手を聴かせてもらうことになりました。 

 フローレスのキャンセルでがっかりしていたのですが、気づいてみると、このオペラではテノールは超絶技巧を要求されてはいるものの、実際歌うのは1幕3場と3幕だけ。一番おいしいところだけ歌うという役。だから、プリマ・ドンナ・オペラと考えれば、全体はとっても楽しめるものだったのです。それにアルベロ、この5月にメトの来日公演でカウフマンの代役をつとめたヨンフン・リーに比べると、ずっと満足できる代役でした。

 腎臓結石のためにキャンセルしたガザーレの代役サルシも大健闘です。1幕1場でのソロは、とても安定していてよく伸びる朗々とした声でした。ガザーレがどんな人かも知らないので比較はできませんが(後で調べて見ると前回のボローニャ公演でルーナを歌っているのを聴いていました)、私はこの歌手でも十分満足です。骨格の関係でか、日本人のバリトンでこんな風に深みのある声は少ないから、とても気持ちよく聴かせてもらいました。
 バスのウリヴィエーリもサルシと同じく、朗々とした歌いっぷりがイタリアを感じさせ、とてもよかったのです。この役本来はバスのようで、ウリヴィエーリの声は明るくって軽めのバスだったので、2幕最後のサルシとの二重唱ではあまり区別が付きにくく、少し残念でした。

puri03.jpg  一番感心したのはベルリーニの書いた音楽が、とても甘美であり、劇的な部分もしっかり押さえてあるということでした。ストーリー展開はあまり納得がいかないものの、歌手が堂々としていて、まるで歌舞伎を見ているようでした。
 っと、残念なことは演出です。特に合唱の動かし方を見ると、これは一体学校演芸会の出し物ですかって感じです。変な手の動きも気になりますし、揃って動かないと意味がないであろうマスゲームも、バラバラに動かしている人が、いるいる何人も。ちゃんと並べない人もいたみたいだし、その辺は大変そう。

 概して、今日の演奏は本当に満足のいくものでした。ただ、だからと言って、最初からこのキャストで売られていたら、こんなに高額なチケット代を支払って買ったかというと、???です。
 今回、私の大きな反省点は、こうした外来オペラに手を出したことです。以前、ナポリ・サン・カルロ来日公演でリチートラ、前回のボローニャ来日公演でアラーニャ(いずれもマンリーコ)を聴きに行ったことがありますが、それ以来、こんなに高額な来日オペラ、羨ましくは思ったものの、実際に聴きに行こうという興味すら持っていませんでした。今から思うと、それがやはり自分の経済状態から考えると正しい選択であったと思います。
 今回はメトにしてもこの公演にしても、どうしても生で見たかったホロストフスキーやフローレスと言った、やはりスター歌手に目がいってしまったところがあります。オペラは総合芸術で、1人2人だけの手になるものではありません。そこにばかり目を向けるようでは、オペラファンとしてはまだまだ浅いものだと思ってしまいます。

 考えてみると、看板歌手が来ないからと言って、あれだけの人達が動くのですから、相当の費用もかかるでしょうし、高額であることは変わりありません。とても腹立たしい日を過ごしてきましたが、代役で来てくれた人達、オーケストラや合唱の人達、それにスタッフの人達がプロの心意気を見せてくれた公演だったと思います。(その分フローレスの評価は私の中では随分下がってしまいますが...。)

 ランカトーレ、アルベロ、他のキャストや楽団、スタッフのみなさん、日本に来てくれてありがとう。
 東京での公演も盛会になって欲しいものです。

*後述 今ではすっかりフローレスのファンに戻っております(^^;)
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ボローニャ歌劇場 ファン・ディエーゴ・フローレス キャンセル [オペラ]

「あのマリア・カラスの生の舞台を同時代に生きて享受できたオペラファンは人類史的幸運であったが、それ以来のオペラ史的至福と云えば、100年に一人のテノール、フローレスを今聴くことができることと言っても過言ではない。ハイCよりも高い音が何度も出てきて、オペラ史上最高音をテノールに要求する、本場イタリアでも上演至難な「清教徒」を遂にフローレスで、日本で実現!ランカトーレ、ガザーレ等、当代の純イタリアン・ベストメンバーの瑞々しい声を揃え、ブルーを基調とした美しい新演出の装置も見逃せない。オペラ愛好家のあなたなら、これを聴かずして何を聴く!!」

「オペラ史上の奇跡!100年に一人のテノール、フローレスによる超高音オペラ。マリア・カラス以来の歴史的な至福の体験、これを聴き逃したらオペラファン一生の悔い・・・」
(ボローニャ歌劇場びわ湖公演チラシより)

S席54,000円、A席46,000円、B席39,000円、 
C席32,000円、D席25,000円、E席17,000円

 フローレスは大好きなテノール。CDもDVDもたくさん買い込んで聴いてきました。そのフローレスが関西に来ると聴いて、なんとしてでもチケットを買いたかった。財布と相談して、32,000円で最上階の後ろから2列目の席を、昨年12月に、チケット争奪選で手に入れました。この席からは小さいだろうなぁ、でも声はよく聞こえるはず。32,000円でも分不相応。これ以上の出費はできません。
 同じ劇場の「カルメン」のカウフマンは、メトロポリタンの引っ越し公演の時に、「放射能が怖いから」来なかったから、どうせ今回も来ないだろうと思っていたら、案の定キャンセル。今回のキャンセルは「私自身、日本に行くことを非常に楽しみにしており、皆様にまずお伝えしたいことは、この数か月間、日本の皆様が直面している状況を理由にお伺いできなくなったのではありません。(本人による謝罪文より。ボローニャ歌劇場メイン・ページ)」だそう。Heldentenorを歌う現在の状況に腹立ちながらも、フローレスは何の発表もしていないから、さすがフローレスだと思っていました。
 リチートラの訃報を知り、凄くショックを受けながらも、ボローニャの「エルナーニ」の代役は誰になるのか調べようとボローニャのメインページを見てみると、フローレスのキャンセルの情報が載っていました。目を疑いました。しかも理由が理由です。

「フローレスからのメッセージ
 親愛なる日本の友人の皆さま、ファンの皆さまへ
 悲しいことに、病気を理由に9月のボローニャ歌劇場公演における「清教徒」に出演できなくなったことをお知らせしなくてはなりません。海水を飲みこみ激しく咳込んだ時に声帯の開口部分の細い血管を傷つけてしまいました。深刻な病状というわけではありませんが、この状態では歌うことが出来ません。しばらくの間休養が必要です。久々に日本を訪れることを待ち遠しく思っていました。そして、その地で大切なファンの皆さん、友人の皆さんに再び会えることも。一方で、私にとって大変特別なオペラである「清教徒」を歌うことが楽しみでした。
 これまで何度も日本を訪れました。私の心に残っているのは美しい思い出ばかりです。そして、再び日本を訪れる機会が来ることを待ち遠しく思っています。
 皆様にはご理解頂けますと幸いです。
 フアン・ディエゴ・フローレス」

 この人は日本であれだけの内容の宣伝をされていたのにも関わらず、上演ギリギリのこの時期になり、キャンセルです。プロフェッショナル失格ではないですか。
 本当は放射能が怖かったならもっと早い時期にそう言えばいいだろうし、主催者側もあれだけの宣伝を打っているのだから、このオペラの公演は中止して払い戻せばいいのではないでしょうか。
 しかも代役は、今まで名前も聞いたことのないテノールです。まだ劇場メインページにはその人の詳しい情報は載っていませんが、今日主催者側から送られてきたお詫び状にはこうあります。

「これに伴い、アルトゥーロ役は、セルソ・アルベロが演じることが決定しました。アルベロは2009年にボローニャ歌劇場「清教徒」のアルトゥーロ約として、フローレスと交代で出演しており、ベッリーニのオペラの現在最高の演奏家の人です。」

 私たちはボローニャにいてこのオペラを観るわけでもなく、交代で出演しているからといって、フローレスと同じ高額な代金を払って観る理由がないのですが...。大体、宣伝で言っていたフローレスのことはどこでどう代償を払ってくれるのでしょう。これでは納得がいきません。ちなみに今日掲載されている宣伝にはこうあります。

「イタリア、若手コロラトゥーラ・ソプラノNo.1のデジレ・ランカトーレによる「清教徒」最大の見せ場:「狂乱の場」。ここでランカトーレが繰り広げるはずの、前代未聞の、壮絶なカデンツァ(即興歌唱)は必聴!
 若きランカトーレの「清教徒」デビューは、2008年9月シチリア島パレルモ、マッシモ大劇場であったが、第二幕「狂乱の場」の場での、彼女の独自の、「カデンツァ」は、誰もが耳を疑うような、上記諸先輩からも聞いたことのない、度肝を抜くような、壮絶なカデンツァ(即興)であった。人呼んでこれを「ラントーレ・カデンツァ」と云う。ピエラッリがオリジナルの演出を手掛けた、ブルーを基調とした美しい装置も絶対に見逃せない。」

 確かにランカトーレは巧いです。フローレスとランカトーレの組み合わせをどんなに楽しみにしていたことか。しかし、最初の宣伝ではランカトーレについて、ここまで書いていなかったのに、今はこの宣伝で、完全にランカトーレ売りに換わってしまっています。それほど代役のテノールがいいのなら、その人の宣伝を一番に書けばいいのになぁ。
 
 震災以降、日本経済は大変な時期にあります。同じ日本人、お金を使うなら日本に落としたい。どうして、違う歌手に変えたイタリアの劇場に、これだけのお金を支払わねばならないのか、納得がいきません。

 怒りと無念さは、どうしても押さえきれません。

 蛇足ながら、バリトンもキャンセルで変更されています。
「「清教徒」リッカルド役変更のお知らせ
「清教徒」に出演予定でしたアルベルト・ガザーレですが、重度の腎臓結石による痛みと発熱のため、医師より15日間の安静が必要との診断を受け、来日できないこととなりました。つきましてはリッカルド役は、ルカ・サルシが演じます。何卒ご了承いただけますようお願い申し上げます。
 なお、今回の出演者変更に伴うチケットの払い戻し、公演日・券種の変更はお受けできません。何卒ご了承を賜りますようお願い申し上げます。2011年9月2日 フジテレビジョン」

 主演者が3人も入れ替わった「カルメン」に比べたらまだましかもしれません。ボローニャとフジテレビは、ここまでして、高額なチケットの払い戻しをしたくなくて、しかも歌手たちのコンディションのつけを私たち日本人、何も文句を言わない日本人におしつけたいのでしょうか。

後述:しかし随分腹を立てている文章なので、少し修正加えておきました。(2023.8)
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喜歌劇『こうもり』 佐渡裕指揮 兵庫県立芸術文化センター [オペラ]

m_fledermaus1.jpg 今年も西宮で佐渡さん指揮のオペラを観る季節になりました。私たちも今年で5年目。肩肘張らないオペラ上演で気楽ですし、今回はシャンパン気分のオペレッタですから、なおのこと楽しみに出かけました。
 今回もダブルキャストですが、今回はキャストを確認せずに日程だけで申し込んでしまいました。カウンターテナーのコヴァルスキーとざこば、剣幸の3人は共通ですが、私たちはロザリンデを佐々木典子、アデーレを小林沙羅、アイゼンシュタインを小森輝彦というセットの日で観ました。キャストをチェックして買っていたら、前回の椿姫での感動もさめやらない森麻季のアデーレ、塩田美奈子のロザリンデの方を絶対買っていたと思いますが、それも後の祭り(実際そちらのセットはかなり早く席が売り切れていました)。折角いい席を手に入れたのだからと、まだ聞いたことのない佐々木典子、小林沙羅がどんな歌手なのか楽しみに出かけることにしました。

 阪急西宮北口駅で特急を降りると、「こうもり」を観に行くとおぼしめきドレスアップした人達がせっせと歩いています。さすが宝塚の劇場体験に慣れた人達が多い場所柄、歩く姿に堂々としたゆとりさえ感じられます。
m_fledermaus2.jpg 席はステージ下手ブロック、真ん中の通路側の最前列でした。座ると、以前やった「メリー・ウィドウ」と同じように、オーケストラピットの前に渡り廊下風のステージがあり、少しワクワクした気分になりました。その通路の下側にある、オーケストラピットと客席の間の壁は、格子に布製のものが張ってある風のもので、音をとてもよく通しました。私はヴァイオリンの前辺りだったので、いつもなら少しバランスの弱い弦がよく聞こえてきてよかったです。

 まず演出から感想を述べさせてもらいますと、「メリー・ウィドウ」の時と同じでコテコテの関西風といった感じで、「吉本かい」とつっこみを入れたくなるようなものでした。「こうもり」は唯一ウィーン国立歌劇場でかかるオペレッタで、「メリー・ウィドウ」とは少し格が違うので、少し下世話過ぎる感じがありました。
 3幕を2部構成にしたのも、「メリーウィドウ」と同じだと思いますが、「こうもり」は2幕が華やかで、ドンチャン騒ぎがあるかと思えばストーリー展開に関わる重要な箇所もあり、途中で切ってしまうとその緊張感が切れるような気がしました。ポルカ「雷鳴と稲妻」は大好きですが、幕間の曲としての扱いより、パーティのガラ・パーフォーマンスとして踊りまくってもらった方が楽しかったと思います。本来なら2幕で明かされる「こうもり」の由来も序曲演奏時に字幕で出ていましたが、2幕を切ってしまうことでかなりのしわ寄せがあちこち出たのではないでしょうか。
 本編終了後のレビューは、「メリーウィドウ」の時は、劇中の有名な曲を落ち着いて聴かせてくれて嬉しかったですが、今回はウィーンに関する歌を使って、登場した歌手がそれぞれの声を聞かせるといった風情で、私は「メリーウィドウ」の時の方が豪華に聞こえました。
 張り出し舞台で合唱が歌ってくれるのは、一番前の席に座っている者としては至福の喜びでした。一人一人の声が本当に直接手に取るように聞こえてくるわけですから、迫力があって楽しかったです。
 総じて言うと、もうこの路線は今回まででいいかなぁという気がしました。

 歌手の人達はどの人も芸達者な人でした。とても楽しそうに演じていて、それだけでも楽しかったです。
 アデーレの小林さんは、とてもチャーミングな人で、役にとってもあった感じで、とても好印象でした(森さんならそんな風にはなってなかったかも...)。歌もとてもよくがんばっておられましたが、幕を追って荒くなっていく感じがあり、少し残念でした。特に3幕の早いパッセージがあるソロは、音程が少し不安定で、よく聴く曲だけに残念でした。
 ロザリンデの佐々木さんは、登場人物の中で一番日本語のことばがわかりにくく、佐々木さんの時だけ字幕を見なければなりませんでした。発声もこもったように聞こえてきて、最初は残念に思っていたのですが、2幕の懐中時計で口説かれるシーンで、私の真ん前の張り出し舞台に座って歌われ、直近で聞くと本当に美しい声で、そのとき以来、好感を持ってきくことができました。
 アイゼンシュタインの小森さんは、動きは楽しいのですが、声が顔の表情と同じでとても硬く、かなり重要な役だけに残念でした。
 オルロフスキーのコヴァルスキーさんは、やはりこの役はカウンターテナーでは少し違和感があり、日本語歌唱もわかりにくく、海外から来てもらった著名な歌手なのですが、少し浮いた感がぬぐえませんでした。折角だし日本人のズボン役でも良かったのではと思ってしまいます。
 ざこばさんは以前よりリラックスして、佐渡さんと漫才(?)をするくだりなどとても楽しかったです。また剣さんはアンコール時にマイクを通してですが歌われ、これもちょっと得した気分でした。

sadosign.jpg いつも通りTシャツを買って、佐渡さんのサインをもらいました。握手してもらって、いつも通り一緒に写真を撮ってもらいましたが、今年の佐渡さんはとてもお疲れの顔に写っていました。大丈夫かな。でもいつも通り、気に入った色はほとんど売り切れで、サイズもLは売り切れと、もう少し準備しておいて欲しいと思いました。明日再入荷しますだなんて書かれても、当日の私たちには意味がないですし。

 その後は京都に戻って、久しぶりに瓢樹でお食事。とても贅沢な一日でした。
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ヴェルディ『ドン・カルロ』 メトロポリタン・オペラ公演 愛知県芸術劇場大ホール [オペラ]

6月5日(日)、待ちに待ったメトロポリタンの「ドン・カルロ」を観てきました。キャンセル騒ぎについては別記事に書かせてもらうとして、当日の感想を書きます。

carlo1.jpg 入り口でとても立派なプログラムを下さるので、さすがメット、高いお金出しただけあるなぁと感心していましたら、ジャパン・アーツと中京テレビのささやかなお気持ちなんだそうです。メットじゃなくて日本側のプレゼントというところに日米の気遣いの違いを垣間見ます。

私の席は5階の後ろ。それでも32,000円も大枚をはたいて買った席です。舞台の奥までしっかり見えますし、音もそれなりにしっかりはっきり聞こえてきます。ただあまりにも歌手から遠いので、オペラグラスをもってしても、あまり歌手はよく見えるとはいえません。それに第一、同じ5階の私より前の座席の客が少しでも前屈みで観ようものなら、舞台はその人の頭しか見えなくなります。皆さん高額のチケットを買っただけあって、それにはものすごく腹が立っていたようで、直接前の人に文句を言ったり、後ろから肩を引っ張ったりして戻したりしている人がいました。

carlo2.jpg まず今回、清水の舞台から3度ほど飛び降りた気分でこのチケットを買おうと思った、しかも京都から新幹線に乗って行かないといけない名古屋の公演のチケットを買った理由は、まず「ドン・カルロ」には並々ならぬ思いを持っていることと、主役のうち5人も世界的なスターが出演するからでした。私の期待は、1番、ホロストフスキーを一度生で見てみたかった、2番、フリットリの美声をもう一度聞きたかった、3番、このところ売れまくっているカウフマンを一度聞いておきたかった、4番、日本ではあまりお目にかかれない立派なバスとしてパーペの歌唱を楽しみにしていた、の順でした。結果的には1番と4番が叶っただけでしたが、それだけでも今回は本当に納得して帰ってこられました。

幕があくとフォンテンブローの森で、さすがメットだなぁと思う舞台作りと合唱が嬉しかったです。メットはイタリア語5幕版を使うのだそうで、20年前に初めて買ったドミンゴとフレーニのドン・カルロも5幕イタリア語版でした。私が最初に聞いたのは、グラモフォンのスカラ-サンティーニ盤で、これも5幕イタリア語版(モデナ版)だったので、私は4幕イタリア語版よりこの方がずっと好きです。

主役で一番最初に登場、カウフマンの代役のリーは、音色にムラのある人で、高音のアクートは輝かしいのですが、それ以外の中音域の音や、聞かせどころではないところでは、ちょっとまだまだ荒いなーという印象でした。それと、カウフマンの代役としてガッカリさせたくないと思って下さっていたのか、1幕からかなり力が入っていて、このままじゃ中盤以降は大丈夫なのかなと思ってしまう出だしでした。実際5幕幕切れの二重唱は、もう柔らかい声が出なく、始終硬い声の歌唱が残念でした。

続いてフリットリの代役のポプラフスカヤが出てこられますが、この人、コヴェント・ガーデンでのドミンゴのシモンや、同じコヴェント・ガーデンでのヴィジャソンとのドン・カルロのDVDで知っていましたが、声量は凄いけど、歌い回しが少し荒く、上品な歌唱とは言えないなぁと思いました。もちろん世界の主要劇場の主役を張るプリマ・ドンナだけはある風格だし、DVDのアップは辛いけど、舞台で遠くから観ると、背がスラッと高く、とても舞台映えする人だと思いました。しかも、オペラ・グラスで観ていると、本当に演技派の歌手だなぁという印象を受けました。満足度は楽しみにしていたフリットリを上回ることはありませんでしたが、ヨーロッパの公演をキャンセルまでして来て下さって、この大役をここまでしっかり歌って下さったのだから、これ以上文句は持てません。特に5幕の大アリアをあれだけ立派に歌い切るのですから、拍手を送らざるをえません。幕切れの2重唱はリリカルなものだけに、少し彼女の歌唱の荒さが目につきましたが、これはその相手のリーの硬い歌唱にも原因があると思います。

 ホロストフスキーは、DVDで、コヴェント・ガーデンのルーナ伯爵とメットのオネーギンで見て以来、私は骨抜きになっていましたので、初めて登場するサン・フスト修道院が楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。初めて見るお姿は、DVDで観ていた時よりも大分老けた感じがしましたが、やはり貫禄のある人でした。ただ2幕1場の歌唱は、声量をかなりセーブしていたのか、もう一つのめり込む音楽ではありませんでした。しかもリーとの2重唱は、ちょっと癖のある歌い回しが耳につき、特に最後の辺りはリーと十分かみ合わず残念でした。ただ2幕2場からはエンジンがかかり始め、パーペとの2重唱や、勿論4幕のロドリーゴの死の場面など、本当にブラーヴォという感じです。この人がアンサンブルをきりりと引き締めるという感じでした。火刑の場での立ち姿もとても格好良く、歌っていない時の演技もしっかりやっているという人でした。幕が進むにつれて、この人、やっぱしルーナやオネーギンのように、ちょっと悪い配役の方が合うんじゃないかなぁと思いました。

ボロディナの代役グバノヴァのエボリはもうがっかりです。特にコロラトゥーラのパッセージが少しある「ヴェールの歌」は、音程もそこそこですし、もう一つ白けてしまいました。逢い引きの場の3重唱もホロストフスキーがいるから劇的に聞けましたし、ドラマティックな「むごい運命よ」は大丈夫かと不安でしたが、これもそこそこという感じでした。

carlo4.jpg それとパーペです。この人やっぱしすごいなぁと思いました。それはそれは存在感のある出で立ちで、顔も苦悩溢れる王という雰囲気を醸し出しています。ロドリーゴとの2重唱や「一人寂しく眠ろう」の凄いこと。ちょっと興奮してしまいました。大審問官がもう一つだったので、大審問官との二重唱は少しアンバランスでしたが、それでもパーペの存在を揺るがすものではありません。この二重唱は大好きな場面だけに、少し残念でしたが、元々の主役が3人もキャンセルした中、大審問官に立派な歌手を求めるのは酷かも知れません。なんせ生パーぺは本当に嬉しい体験でした。

しかしこれだけのキャンセル劇を出した公演で、予定を変えて来てくれたポプラフスカヤとリー、グバノヴァには感謝感謝です。特にポプラフスカヤは今回が日本デビューとかで、こんな形ではなく、十分に計画を整えてから来たかったことでしょうに、本当にありがとうという感じです。

私はあまりオケはわからない方なのですが、レヴァインの代役のルイージ、私の席からはまったく見えませんでしたが、あちこちに私が聞いている「ドン・カルロ」とは違う味付けがなされているところがあり、面白く聞きました。アーティキュレーションやアクセントの付け方でこんなに変わるんだなぁというのが実感です。ただ、5幕の幕切れは、無理矢理デクレッシェンドをかけないで欲しかった。とっても腰砕けで、ここまで長々聞いてきた壮大な終わりに似つかわしくないものだと思いました。

総じて演奏には満足して帰ってきました。さすがメットだなぁという実感で一杯でした。

ホールについて言うと、愛知県芸術劇場は初めて訪れたのですが、びわ湖ホールや兵庫県立芸術センターに慣れてしまうと、まったく前世紀の遺物みたいな構造で驚きました。まず階段の狭さに壁壁です。それと5階って、本当に階段で一生懸命上がらなくてはならず大変でした。客席も無駄な仕切りが多く、回り道を余儀なくされるところが多い多い。この構造、火事が起こったら上階席の人は焼け死ぬか、窒息死して下さいという感じです。それを思うとちょっと怖かったです。それにビュッフェの喧噪、客のではなく、売っている人達の喧噪です。市場の魚屋やあれへんで、高い金払ってオペラ観た後の休憩やのに、雰囲気つぶさんといてくれまっか、って感じです。それと退場する時、劇場の案内の人達が適切に案内しないのにもびっくりしました。すいているエスカレータに人を誘導すればいいのに、誰もいないフロアでボサーッとした係員が数人いるかと思うと、エスカレータの乗り口で耳元で挨拶をする係員。もう少し状況を見て動いて欲しいです。ってことで、どんなに魅力的なオペラが来ても、この会場には二度と足を運ばないことに決めました。

carlo5.jpg 4時間40分にわたる長い公演、最終の新幹線を心配しましたが、名古屋駅でひつまぶしを食べても十分時間があって、無事京都に帰宅しました。贅沢な一日でした。

続きにキャンセルについての思いを書きます。
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『ドン・カルロ』(イタリア語4幕版) パリ・オペラ・バスティーユ [オペラ]

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 パリ滞在4日目にバスティーユのオペラ座にヴェルディのドン・カルロを見に行きました。パリに行くことを決めたのも、その時期に観たいオペラがあるということが大きな理由だったので、航空券を取るや否やオペラ座のサイトでオンライン予約をしました。同じ価格帯でももうすでにいい席は埋まっている状態でしたが、しばらくディスプレイとにらめっこして、その席を決めました。
 ドン・カルロは元来パリ・オペラ座のために書かれた作品で、勿論パリ・オペラ座で初演されているのですから、当然そちらでの演奏家と思っていましたが、ヴェルディが後で書き換えたイタリア語4幕版でした。サン・フスト修道院で始まる4幕版はあまり好きではないのですが、よく考えるとフランス語五幕版は十数年前にシャトレ座でアラーニャをタイトル役にしたすばらしい公演があり、DVDでも観られるので、オペラ座としてはイタリア語4幕版を選んだのかもしれません。
 
指揮 Carlo RIZZI
  Don Carlo:  Stefano SECCO
 Elizabetta:  Sondra RADVANOSKY
 Rodrigo:   Ludovic TEZIER
 Filippo II:   Giacomo PRESTIA
 Eboli:     Luciana D'Intino
 Il Grande Inquisitore: Victor von HALEM

 歌手は残念ながらほとんど知らない人ばかりでしたが、本当に楽しく聴き通せました。
 男性陣から見ると、カルロ役のSeccoは小さな人でしたが、とても満足のいく歌でした。演出の関係か、身のこなしがなよくって、本当に頼りないダメ息子って感じでした。低音はどの人もいいなぁと思いました。まずロドリーゴのTezierは堂々としていて朗々とした歌唱がとってもよく、カルロとの重唱も品があって良かったです。フィリッポのPrestiaは力まかせに歌ってしまうのではなく、3幕のアリアにしても奥の深い歌が印象的でした。大審問官のvon Halemは、フィリッポとの対比もあって少し低めで硬質な声の人でしたが、高齢で目が見えなくなっているという程年を取っていそうにない声でした。
 女性陣ではエリザベッタのRadvanoskyは重唱も大アリアも立派にやってのけ、堂々とした品格のある女王を演じられていたと思いますが、問題はエボリのD'Intinoで、ヴェールの歌からすでにこもった発声に力任せの歌が気に入らず、大好きな3幕のアリアも表題通りfataleな感じがしました。

 だだっ広い舞台に物は何もなく、時折床が下がって十字架になったり、仕切りの壁が出てくる程度の抽象的な舞台が少し残念でした。衣装はそれなりのものでしたが、このオペラをまったく知らない私の連れには、話が何が何だかわからなかったようです。
 演出はほとんど動きのないもので、オラトリオかと思うようなものでしたが、1幕1場終わりの友情の二重唱の後に二人で十字を切って祈る(ロドリーゴは新教のフランドル地方に傾倒しているはず)シーンだとか、ヴェールの歌はサラセンの物語なのに、女官みんながまるでフラメンコを踊るがごとくカスタネットを腰で打つ仕草を続けるなど、文化的にステレオタイプ的でげっそりするところもありました。山場の異端火刑の場も、客席側が燃えていることになっているのか、舞台上の人がみんなこちらを凝視しているのも、少し安易な処置かなぁって思ってしまいました。ワーグナーのオペラや演奏会形式のオペラじゃないんだし、それなりにお金も払ったのだから、もう少し華やかさが欲しかったと思います。元々華やかオペラなんだしね...。

 なんやかんや書きましたが、歌の点で言って、こうして主役の6人の半分以上は満足のいく歌唱だったんだし、オーケストラ伴奏で普段オペラ観ることだなんて私にはあまりないことなので、とっても嬉しかった数時間でした。

 バスティーユで夜遅く(10:30終演)うろうろするの嫌だったから、ホテルに帰って、前の日にランスで買ってきたシャンペンを開けて飲みました。安いのにコクがあっておいしかったです。さすが本場シャンパーニュ地方で薦められたものだけあるなって感じでした。

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ペルトゥージ&レベカ デュオ・リサイタル 大阪ブリーゼ・ホール [オペラ]

pertsi.jpg バスのミケーレ・ペルトゥージとソプラノのマリーナ・レベカのデュオ・リサイタルに行ってきました。どちらの人も恥ずかしながらまったく知らなかった人なのですが、前回のシラグーザのブリーゼ公演で先行発売していたし、バスのリサイタルって初めてだったので興味本位で買っていたチケットでした。

 帰って調べてみると、ちょうど今年度始めに見たメトロポリタン・ライブ・ビューイングのフローレス、ドゥッセーの「夢遊病の娘」の伯爵役に出ていた人だとわかり、ちょっと楽しみにしていました。っで、出かけていってブリーゼで売られているCDやDVDを眺めていると、シャイーのヴェルディ・ディスカヴァリー、エヴァ・メイ主役のマスネ「タイース」の相手役、バルトーリ主役のロッシーニ「チェネレントラ」にも出ていて、どれも持っているやつだったので驚いてしまいました。

 さすがに世界の檜舞台に立っている人だけあって、立ち振る舞いは堂に入っているし、もちろんビロードのような声も圧巻でした。ただバスのアリアはいずれも地味目なものが多く、ジョイントで歌うデビュー2年目の新人ソプラノのレベカの華やかなアリアに押され気味でした。「愛の妙薬」や「ルクレツィア・ボルジア」の二重唱は、本当によく響く声で歌ってくれて、さすがだなぁと思いましたし、「陰口はそよ風のように」にいたっては、みんながよく知っている曲なので、割れんばかりの拍手でした。

 サイン会で一緒に写真撮ってもらったり握手してもらったりしましたが、本当に大きな人で、しかも甘い笑顔で最高の声で、あの人にかかれば女性はいちころだろうなぁと思ってしまいました。本当に優しい人でした。

 レベカはさすがに若い張りのある声を聴かせます。歌い回しも洒落ているし、本当に素晴らしい。でも一本調子になりがちなので、もうちょっと経験を積んで大ソプラノになって欲しいです。体調が悪いとかで、ヴィオレッタの「そはかの人~花から花へ」が「O Mio Babbino Caro」に変えられたのは、本当にショックでした。(でも他の曲はバンバン鳴らしていたから、どこが体調不良なのか不思議でした。)

いつもならが今日も胸をいっぱいにして帰ってきたコンサートでした。

https://youtu.be/0UenutTMRbU
↑Eva Mei, Michele Pertusi:マスネ「タイース」終幕
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マリア・カラス スタジオ録音全集を買いました! [オペラ]

 パッケージ商品としてのCDを売るターゲット層はちょうど私たちの世代らしく、ネット販売のCDショップは数枚セットにすると安くなったりポイント倍増セールがあったりして、あの手この手で攻撃をかけてきます。私などはそのいいカモで、もうそれに引っかかってどれくらいの枚数のCDを買っていることでしょう。
 今回はマリア・カラスのスタジオ・セッション録音のCD69枚組が11,000円と、本当に魅力的な値段です。値段は魅力的ですが、枚数は天文学的です。1枚80分入っているとして、全部聞くのにいったいどれくらいかかることやら。でも「よし買うぞ!」と決心して購入。高校2年生の時にオペラのファンになってもう早30年近く、レコードでオペラ全曲盤を買うときは、本当に吟味して吟味して買って、どれもすり減るくらい聞いたものですが、そんな時代もどこ吹く風。
 マリア・カラスは、オペラ・レコード界では本当に大切な人で、出ている全曲盤はモノラールにもかかわらずほとんど批評家たちの絶賛を浴びています。でも私はあの声が苦手で、しかもモノラールなんて少し貧乏くさくって、カラスのセットは新しい方の「トスカ」と「ノルマ」、ヴェルディ・アリア集が数枚、ヴィスコンティ演出でバスティアニーニと競演してる「椿姫」伝説のスカラ座ライブ、「夢遊病の女」、「トロヴァトーレ」と、必要最小限しか持っていませんでした。だからダブるのも実は少ないのです。
 商品が到着して、いそいそと聞き始めました。勿論短気な私のことですから、ハイライト盤よろしく、アリアやデュエット、終幕の幕切れと、おいしいところのつまみ食いです。でも、あぁ、うまいなぁ。ルチーアなんかも高音が本当に良く出ているし、ノルマ旧盤や、椿姫のスタジオ録音と、どれも若くて瑞々しい声がとても好ましい。これから年取って時間ができれば、少しずつ楽しんで聞いていけるいい慰みものができた感じです。
 でも立て続けに聞いていると、やっぱしアクの強い声の歌手だけあって、食傷気味になってくるのも確かです。モノラール録音で録音状態もとても古いとなると、オーケストラや他の歌手とのバランスの悪さも疲れの原因となってきます。特にステレオ録音で、しかも声に勢いがなくなってきた頃に録音された「カルメン」を聞くと、胸声で凄みを出すのもいいけど、少ししんどい歌唱で、ニコライ・ゲッダの美しい声には改めて感激したものの、カラス自体はしばらく時間をおきたいかなって気持ちになってきました。
 考えてみると、ヴェルディやプッチーニのオペラ録音はどれもカラス盤が高く評価されていて、カラスは人間の感情とその変化の具合を本当にうまく描き出しているというのだけど、私にはその点がわからず、技術的に巧いことと劇的な表現が凄いことぐらいにしか感動できません。だからジルダや蝶々さん、ミミなんかの純粋路線のヒロインにはあまり声が合わない気がします。まっ、これから深く聞くチャンスはいくらでもありますから、頑張って聞いていきますが...。
 しかし場所を取るのが一番の問題かな。

https://youtu.be/Nk5KrlxePzI


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バルバラ・フリットリ ヴェルディ・アリア集 Barbara Frittoli [オペラ]

 2001年に出たフリットリのアルバムを買いました。当時、まだ梅田・堂島にあったワルツ堂で、1500円位で山積みして売られていたのですが、アリア集を買う習慣がなかったので買ってませんでした。2006年3月にパリ・バスティーユのオペラでデズデーモナを聞いて、これぞベルカントという声に感動し、このアルバムを買おうとしましたが、ずっと品切れ状態で買えませんでした。それをなんとか今回手に入れることができて喜んでいます。
 椿姫の「ああ、そはかの人~花から花へ」で始まりますが、うーっ、のっけから感動。やっぱしこの人の声はとってもきれい。あまり響きにムラがなく、アメリカ人ソプラノのような人工的な声の演出はありません。とっても気持ちいい。他にもトロヴァトーレの大きなアリアが2つ、それにドン・カルロの大アリアも堂々と歌ってのけているし、同時にシモンの朝の海辺の美しいアリアも、とてもすがすがしく純粋に歌っている。あぁ、買ってよかった...。
 ルイーザ・ミラーと椿姫の管弦楽がそれぞれ1曲ずつ挿入され、約80分はお得。でもルイーザ・ミラーからの1曲を除いては他の歌手の合いの手が入らないので、そういう箇所を省略する強引な編曲がなされていて、少しびっくりしてしまいました。

 今となったら北京・紫禁城でのトゥーランドットのリューやブッセートのヴェルディ劇場でのムーティのファルスタッフのアリーチェ、ドミンゴと競演したスカラのオテッロのデズデーモナと、フリットリも映像で観られるようになりましたが、こうして音だけ取り出して耳を研ぎ澄まして聞くのもいいなぁと思いました。
https://youtu.be/Agks7aFynv0

タグ:ソプラノ
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