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ブログ更新します。 [備忘録]

こんにちわ。

最近facebookのグループで色々書かせてもらっていましたが、いいねが気になったり、あまり自由に書けなかったりして、以前にやっていたブログを思い出しました。
長く放ったらかしにしていると、そのブログをやっているところが知らないうちに譲渡され、ID取得期間も終了し、自分では触れなくなってしまいました。
ここにその時のものをリンクし、またブログ自体も細々と続けていこうと思います。備忘録です。

↓以前のブログの一番古いページです。
https://paquito.blog.ss-blog.jp/archive/200905-1
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ムーティ指揮 ローマ歌劇場東京公演 5月27日 『シモン・ボッカネグラ』 Simon Boccanegra by Maestro Muti in Tokyo [オペラ]

20140527a.jpg 一大決心をして、大枚をはたいて東京まで行ってムーティのオペラを観てきました。ああ、よかった。今までの引越公演の中では一番良かった。感動も覚めやらず、その感想をしたためないではいられないので、今帰宅してすぐに書いています。

ヴェルディ 『シモン・ボッカネグラ』
 プロローグと第3幕のメロドラマ
 指揮: Riccardo Muti
 Simon Boccanegra-George Petean (br)
 Maria (Amelia) -Eleonora Buratto (sop)
 Gabriele-Francesco Meli (ten)
 Fiesco-Dmitry Beloselskiy (bs)
 Paolo-Marco Caria (br)
 ローマ歌劇場管弦楽団・合唱団

 私のもう一つのお目当てだったFrittoliが直前でキャンセル(もうFrittoliは3回もキャンセルされているのできっと縁がないのでしょう)。でもやはり第一はムーティです。CDを聞いてもあれだけパワフルな音楽を引き出す人、オペラにおける指揮者中心主義を貫いている人ですし、キャストだってすべて彼のお眼鏡に適っているはず。指揮者中心で観る演目を決めるのは初めて。
 
 ムーティの音楽は、もうこれ文句なしです。痒いところに手が届くって感じです。オケはそれを100%生かせているのかというと、そうでもなさそうなのですが、ムーティの指揮を観ているとどうしたいのか本当によくわかるものでした。ただの歌の伴奏という感じでは決してありません。ムーティは観客が拍手する箇所も考えてあるようで、曲を無理につないでいくと言うことはありませんでした。
 歌手で一番感激したのはGabrieleのMeliです。スタイリッシュで音質が乱れない。しかも感情がしっかり表現されていてこちらまで伝わってくるし、それに何より、声に無理がないのに本当によく聞こえる。彼が歌う度に感動してしまいました。
 Petean(Simon)はとっても明るい声のハイ・バリトンで、とても誠実に歌っていました。時々声が疲れて聞こえる時があるのですが、本当によく歌っていました。
 Beloselskiy(Fiesco)もとても丁寧な歌で、日本ではあまり聴けることのないしっかりと響くバスで、彼の歌もどれもとても楽しみでした。Simonとの2重唱も天国にいるような気分で聴くことができました。
 Paolo役が巧いと善悪のコントラストがはっきりして、このオペラは本当に味が出てくると思うのですが、Cariaは歌も芝居もとても巧く、物語をしっかりとしめてくれていました。
 Buratto(Maria/Amelia)は、とても声が綺麗なのですが、息が比較的短くて変な箇所での息継ぎが気になったのと、高音を出してアンサンブルをきめなければいけない時、とってもよくがんばって出そうとするため音程が上ずって聞こえてきて、私には少し興醒めでした。これがFrittoliだったらどんなにいいことかとは思いましたが、今更ながらのお話しです。
 それとオペラグラスで観ていると、どの人もとっても若い!やっぱし若い歌手って見た目はとってもいいですよね。
 他の人のブログを見ていると、合唱があまり巧くないと書かれていましたが、私にはとてもよく聞こえました。パンチがあるし、しっかり指揮者に統率されているという感じでした。

20140527b.jpg ムーティが颯爽と現れて、大好きな第1曲が始まります。幕が開くと舞台はジェノヴァの聖ロレンツィオ教会を彷彿させる黒と白の大きな建物の中です。昨年の夏にジェノヴァに行ったところだったので、見慣れた場所が出て来てとても嬉しかったです。イタリアの歌声がホール一杯に響き渡ります。Fiescoのアリア、特に後半、舞台裏からのアカペラ・コーラスを伴う部分、生で聴ける喜びを思わず噛みしめてしまいました。合唱もとっても巧い。FiescoとSimonのデュエットも格好いい!
 プロローグと第1幕は25年離れているわけですが、幕間休憩なしで、約5分くらいの待ち時間で始まります。大好きなAmeliaのロマンツァ。Gabrieleの声が舞台裏から聞こえてきて、Ameliaも待ち焦がれていたのでしょうが、あんまりMeliがスタイリッシュな声なので、私も期待で胸が高鳴りました。海のほとりの大邸宅のテラスという設定のようですが、大きな鎖が家の上からぶら下がっていました。このオペラで一番好きなナンバー、SimonとAmeliaのデュエットもアングリと口を開けて聞き入ってしまいました。Ameliaの最後の"Padre"という高音はもう少し力が抜けた音で聞きたかったですが...。その後のPaoloとPietroの短いパッセージは、アッバードのCDだととっても小気味よいテンポで進むのですが、ムーティは案外ゆっくりでした。
 第1幕フィナーレの場面転換も約5分くらい待ちます。本当にたくさんの人達が舞台上に現れて、音楽も否応なしに劇的に盛り上がります。あんまり人が多く、舞台からオケピに落ちないかなぁと思ってしまいました。最後の大コンチェルタートでも、もちろんSopranoの高音は目立ちますが、Meliの声がいつもしっかり聞こえてくるのには感銘を受けました。
 第2幕にはGabrieleのアリアがありますが、今回のアリア後の拍手で一番長かったのではないでしょうか。安定した音質とスタイリッシュな歌い回し、本当に感動しました。Simon、Amelia、Gabrieleの三重唱も緊張感のあるもので、本当に耳の保養となる響きを楽しめました。
 最終幕は、聞く前から思い入れが強すぎて、感動感動。どうか終わってしまわないでと祈るばかりでした。Paoloが婚礼の合唱に伴われて歌うソロは、Cariaの演技力も相まって悲劇的で良かった。Simonのソロも格好いいし、SimonとFiescoのデュエットは本当に涙ものでした。そして最後の大コンチェルタート。Simonの最期の場面もとても人間的でよかったです。

 1月にアッバードが亡くなった時にも書きましたが、私がオペラを初めて聴いたのは高校2年生の時にスカラ座が引越公演にやってきて、その公演をNHK放送で見た時からです。その時アッバードが振ったのがこの『シモン』。それから遅ればせながらLPを買って聴き、それ以来ずっと大好きなオペラです。それからガヴァツェーニ指揮のCDやら、アッバードのパリ・オペラ座ライブを買ったりしましたが、そのLPが私の『シモン』原体験で、ドミンゴがタイトル・ロールをやったので興味本位にメト版、ロイヤルオペラ版、スカラ版の3種を買いましたが、もうアッバードのLPが私の中で不動の地位を占めていました。でも今回のようにソリストがハイレベルで、指揮者が隅々まで統率をとった演奏となると、やはりただものではありませんでした。
 水曜の夕方で値段が値段なのに、席はほぼ満席。この気持ち、本当によくわかるし、みんな私と同じように満足しきって帰って行かれたことだと思います。そうそう、テノールのSabbatiniも客席で聞いておられました。

 オペラが終わった後も興奮はいつまでも覚めやりませんでした。
20140527c.jpg

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クラウディオ・アッバード(アバド)追悼 Claudio Abbado [オペラ]

 2014年1月20日、イタリアの指揮者クラウディオ・アッバードが亡くなりました。
 自分のブログを書くのはとても久しぶりですが、アッバードが亡くなったことは少し衝撃ですし、インフルエンザで出勤禁止も今日で最後で、体はいたって普通なのに家を出ることができないので、今の気持ちを書きとどめておきたいと思いました。

 アッバードを知ったのは1981年のスカラ座が日本に来日した時です。もちろん高校生の私がその公演を観にいける訳でもなく、ましてオペラをそれまで観たことのない私には、NHKで放送されたテレビを観るだけでも十分新しい体験でした。その時はカルロス・クライバーも同行していて、作品もアッバードが「シモン・ボッカネグラ」「セヴィリアの理髪師」、クライバーが「オテッロ」「ボエーム」で、オペラ初心者で若輩者の私には、悲劇かつ有名なものにより関心が高かったので、クライバーの2作品の方がずっと感銘を受けていました。アッバードの2作品は観たもののもう一つよくわからないというのが正直なところでした。
 しかしそれからなけなしのお小遣いで、年に2つというペースで少しずつオペラLP(当時新譜は一枚2800円、廉価版で一番安いものでも一枚1500円)を買い集めて行くと、アッバードに対する見方が変わっていきます。初めてアッバードのLPを買ったのは高校3年生になった時で、「シモン・ボッカネグラ」でした。当時あまり有名でないオペラだったけど、来日公演の時にテレビで観ているし、名盤の誉れ高いLPだったので買おうと思いました。なんせ家に聞くことができる他の音源がなかったので、このオペラはどれだけ聴いたことでしょう。今では一番好きなオペラの1つです。その後アッバードのレコードは、できればスカラ座と共演しているのが欲しかったということもあって、「マクベス」「仮面舞踏会」「レクイエム」と立て続けに買って聞き込みました。アッバード熱が自分の中でも高まっていたので無理してでも新譜も買いたいと思いましたが、ちょうどその当時CDが売られ出した頃でオペラはLPよりもずっと高かったので買えず、レコード芸術のレコード評などを一生懸命読んでその曲の代表的な録音(「アイーダ」は旧カラヤン盤、「ドン・カルロス」は新サンティーニ盤という風に)しか買えず、アッバード盤は諦めていました。それでも、本当によくレコードを聞き込んだ時期だったので、私のオペラ基礎の大半はこのアッバードに仕込んでいただいたということになります。

 「シモン・ボッカネグラ」はもう30年以上聞いていることになります。最近ドミンゴがバリトンの主役を歌い出し、このタイトル・ロールも歌っているのでそのDVDを買って観たりしていますが、やはりこのアッバードの演奏とは比べものにならず、忘れられません。今では、プロローグと第3幕にあるカップッチルリとギャウロフのデュエットなど、本当に心にしみて大好きですが、30年間変わらず大好きなのが第2幕のフレーニとカップッチルリの2重唱です。歌手もさることながら、アバドのオーケストラの盛り上げ方がとても上手く、何度聞いても胸が熱くなります。ライブ映像などで観るとあまりどれもうまく聞こえない幕切れのコンチェルタートも、フレーニの上手さも相まって本当に感動的で、未だに聞くたびに涙が出ます。


 「仮面舞踏会」には当時まだ「これ」とされる録音がなく、モノラル録音を敬遠していた私にはカラスのLPを買おうと思うこともなかったので、当時新譜だったアッバード盤を買いました。LPジャケットはこれとは違って、ドミンゴが座っている全身を正面から撮ったものでした。「シモン」や「マクベス」とは違い、どこか乾いた音がする録音でしたが、上手いドミンゴと若々しいリッチャレルリ、それにとってもノーブルなブルゾンと、これも本当に聞き込んだ録音です。リッチャレルリの2つのソロ(2幕の大アリアの盛り上げ方、3幕のロマンツァの演歌調のしっとり感)を聞いても、アッバードって上手いなぁと思っていました。

 後々、CDを買う余裕も出てくる歳になっても、その頃の志向が大きく影響し、イタリア、それもヴェルディとプッチーニを中心に聴いていましたので、アッバードのロッシーニを買うのは随分後で、こ10年くらい前のことになりますが、オーケストラ曲自体にあまり関心がなかった私には、他のアッバードの録音はあまり興味がなかったかもしれません。唯一、ブラームスの交響曲全集が欲しい時、北ドイツの雰囲気をあまり好まない私は、「よく歌う演奏」という触れ込みだったアッバード+ベルリン・フィルの当時新譜を買いました。これは未だに好きで、たくさんある他の名演に気が移ることなく、よく聞いています。特に1番の第2楽章が好きで、他の指揮者のだとがっかりしてしまった覚えがあります。


 ヴェルディのレクイエムは、金のイエスの十字架磔刑像の衝撃的なジャケットのLPを大学生の時に買って聞きましたが、当時所属していた吹奏楽の仲間から、よくそんな退屈そうな音楽聴くなぁ、と言われたのを覚えています。レコード針を下ろすと、じりじりという針の音の中にかすかに弦の下降音型が出てきて、合唱のつぶやきが出てくる始まり、いつも息をのんで緊張しながら聞いていました。CDに最初の弱音から静寂の中にしっかり聞こえてくるので、その緊張感も薄らいでしましたが、少し荒削りの合唱にとっても巧いソロ4人がお気に入りで長く聞いています。その後、ウィーン・フィル盤もベルリン・フィル盤も買って聞きましたが、リベラメがどうしてもスカラ盤の呪縛から逃げられず、しかもスカラ盤のジャケットの美しさにかなうことなく、2・3回聴いてお蔵入りしてしまいました。しかしこの曲がこれほどテレビのバラエティ番組で使われるようになるとは思いませんでした。(ちょっと曲の内容を勘違いしてるかとも思いますが、みんなが知ってくれるのはいいことでしょう。)


 私とアッバードとの関わりを徒然に書かせてもらいました。若い頃の溌剌としたかっこいい姿ばかりが思い起こされます。胃がんで亡くなったと聞き、きっと大変な思いをされたことだろうと思います。あらゆる痛みや苦しみから解放され、彼の魂が主のもとで永遠の安息を得られますようお祈り申し上げます。

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劇団四季「サウンド・オブ・ミュージック」 大阪四季劇場 11月12日 [ミュージカル] [ミュージカル]

1741.jpg 昔から大好きなミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」、劇団四季が公演するというので、早速チケットを買って観てきました。アンドリュー・ロイド・ウェバーが2006年にプロデュースしたものということで、とても楽しみにしていました。
 当日の主要キャストはマリア=笠松はる、トラップ大佐=芝清道、修道院長=秋山知子でしたが、子供たちも含めて穴のないキャストで本当に楽しめました。笠松さんは、以前ファントムのクリスティーンで観ましたが、この人、とても明るそうな感じの人なので、このマリアの役の方がずっと自然でよかったです。一番歌がうまいと思ったのは秋山さん。「すべての山に登れ」は本当に感動的な歌唱でした。もちろん劇もとてもうまいと思いました。芝さんは初めて観る人でしたが、声も立ち姿も石丸幹二を彷彿させるところがあり、劇団四季の男声のカテゴリーにこういう系統があるのかなぁと思ったくらいです。トラップ大佐としてはもう少し品を感じさせる声と演技がいるかと思いましたが、歌自体はとても巧いと思いました。どちらかというとファントムの方があうのではないかと思いました。
 子供たちもとても頑張っていました。ただ、ああいう商業演劇で子供が準主役になるのはある程度限界があるかなぁとつくづく感じました。はっきりと大きな声で話すこと自体、かなり子供たちには負荷がかかるようで、どうしても不自然さをぬぐえませんし、必死な顔つきが、よくがんばっていることを物語るものの、観ている側はストーリーそのものに入っていけないデメリットがあります。歌はよく訓練されていて、本当にしっかり歌えたのには感動しました。リーズルはこれは成人メンバーなのか、歌もさることながら、あずまやで踊る踊りのとても巧いことには感心しました。
 一番気になったのは、歌の配置が若干変えられていることでした。「私のお気に入り」が修道院長と共に修道院で歌うのは中でも一番気になった点です。背景として、マリア自身は修道院内ではそれほど問題を感じている様子もなく、嫌な思いを忘れるためにこの歌を歌う理由がありませんし、それに修道院長が同調する意味もわかりません。この歌は雷に怖がる子供たちを慰めるために歌うという映画での配置の方がずっとしっくりするものです。それにマリアが去ってから悲しい思いをしている子供たちが、その気持ちを慰めるのにこの歌を歌うということにもうまく繋がってきます。雷のシーンが「ひとりぼっちの羊飼い」に換えられていましたが、これこそパーティで歌うからこそ、この子供たちが歌がうまいことを示したのだと思います。それもなしにお休みの歌だけを聴いて、彼らこそ音楽祭にふさわしい逸材だと判断するだけの材料にはならないと思います。
 日本はキリスト教国ではないので仕方ないとは思いますが、教会内の表現について幾分の違和感があったのも事実です。修道院内の聖歌はあれほどビブラートをかけては歌わないと思いますし、結婚式に出てくる司祭の格好はかなり異質だと思います。もともとあれは司祭がミサを挙げる時の服装ではありませんし、結婚式ならちゃんと決まった服装を身につけているはずです。

 ペギー葉山の日本語訳はとても巧いと思いますが、それ以外の訳がいつもの劇団四季訳でがっかりしました。不自然な日本語と、自虐的なのか自己弁護的なのか、子供たちの台詞に「一つの音符に一つの音のはずなのに」という表現がありましたが、これをもう少ししっかり守ってもらわないと、日本語がとても聞き取りにくいです。それにところどころ英語をそのまま入れるというのも、あまり日本語のミュージカルということを考えると好ましいこととは思いません。
 っと、細かいことに文句をつけると一杯になってしまうのですが、全体的にはとても満足したもので、いいできだと思います。また観に行きたいなぁと思ってしまいました。

PS: 原作について、昔から納得がいかない点は、ザルツブルクの山を越えていけるのはドイツか、やはりオーストリアかだと思います。スイスに逃げるには遠すぎるし、絶対途中でナチスに捕まるんじゃないかなぁ。

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小田和正 「どーも どーも その日が来るまで」 10月14日 神戸ワールド記念ホール [日本の歌手]

 この日はたまたまお休みの日で、久しぶりに神戸に出かけることもあって、少し早めに神戸に向かいましたが、残念ながら雨。南京町にも行きましたが、雨の中買い食いして歩く気にもなれず、すんなり通り過ごしてきました。かと言ってウィンドウ・ショッピングするほど見たいものもない。仕方なくカフェにでも行こうと言うことになりました。コム・シノワのパン屋さん、大好きで何度も行っているのに、やっぱし行き方がわからず迷ってしまいます。なんとかi-modeで探しだし、めでたくたどり着きましたが、こんな時インターネットだったら探すのも早いんだろうなぁって思ってしまいました。やっぱりスマホ必要かなぁと思った最初の日です。コム・シノワのおいしいパンを食べて気を取り直して、小田さんのコンサート会場へ。
m_P1050234a.jpg ポートアイランドに行くのも久しぶり。でも三ノ宮から乗り換えて行くにはちょっと不便。最寄り駅で降りたら、雨脚も強まっていて、ホールまで行くのも億劫。ホールの入り口は二つあり、アリーナとスタンド席で違います。グッズ売り場は明らかにスタンド席入り口に見えるのですが、この雨の中、遠回りしてスタンド席入り口に行く気になれず、断念。このホールに来るのも、また小田さんのコンサートでアリーナ席が取れたのも今回が初めてです。入ってみるとここのホール、案外狭くて驚きました。ちょっと真ん中からずれる席ですが、近くに小田さんが走り回る廊下がある!

 始まってみると、やっぱし小田さん遠い。でもいつかそばを通るさって期待して、歌に聴き入ります。「明日」「ラブストーリーは突然に」「こころ」「正義は勝つ」と続きますが、テンポの早い曲はなんだか少ししんどそうにも聞こえます。最初のうちは知らない歌が多かったのですが、大好きな「たしかなこと」になると胸も弾みます。小田さんのハイトーンはやっぱし健在です。これで64歳?!「たしかなこと」は本当に胸にしみ入る歌詞で、中学生の子供がいてもおかしくない年になってしまうと、この気持ちが本当にわかります。
 メインステージを離れ、出島で二人で歌い始めるのですが、この場所は少し見えにくい。後ろ向かないといけないんだけど、パイプ椅子の狭い空間で私のような巨体が後ろを向くのは近所迷惑。嗚呼。私はオフコースの頃からのファンではないのでオフコース時代の歌はあまり知りません。でもさすがに「さよなら」は知っています。Looking Backに入っていた大人っぽいヴァージョンで、ギター2本でやってのけられます。わー、これはいい。まだまだ暑い日でしたが、冬の寒さを思わせ、寂しさ、切なさがジンジンと伝わって来ます。
 大好きな「緑の街」の後、ピアノの弾き語りで「風の坂道」でしたが、これには参ってしまいました。涙が出る出る。私たちの年代の状況をこんなにうまく歌い現している歌はありません。グイグイと心の柔らかい部分に入り込んでくる感じでした。
 ここからしばらく元気な歌が続き、会場はもうノリノリ(←表現が古いかぁ)でした。「キラキラ」や「伝えたいことがあるんだ」も大好きな歌ですが、あれあれ、コンサートの始めに心配していた声の調子もとっても良くなっている。2つとも大変な歌なのに、さすがに小田さん、プロだなぁ。続く「緑の日々」では、最後の最高音はコーラスの人に任せて、自分は内旋律を歌ってはりましたが、これはもう当然のことだと思います。
 「今日も どこかで」、前回のコンサートのテーマです。前回は3回もコンサートに行ったから、この曲はよく歌った思いがあります。特に京セラドームで歌ったときは本当に感慨深かった...。そんなこと思い出したらまた涙が出てきた。ピアノの弾き語りが2曲。「さよならは言わない」は少しできすぎた曲。でも生で聴くと心が動く。これは自分のことを歌ったのかなぁと思っていたけど、振り返ってみると、私にだって当てはまる。続く「東京の空」は、もう、これは成熟した歌で、成熟した男が歌う、思いやりと優しさに溢れた歌です。前回同様、スクリーンには青い空が映し出されますが、その青い空を見ながら、また涙。小田さん、何回泣かすねん!
 アンコール1回目は「またたく星に願いを」と「ダイジョウブ」。もう涙腺が緩みまくっていて、「ダイジョウブ」でも涙。アンコール2回目でピアノ弾き語りの「言葉にできない」。これがないとダメ。私が小田さんのファンになったのも、テレビ・コマーシャルでこの歌が流れていたから。すぐにLooking Backを買いにCD屋さんに行きました。この歌は本当に良くできている。私もこう言えるような人間になりたいって、ずっと思って来ました。この曲を歌うときの小田さんの練られた声も大好きで、歌い回しも大好きで、でもメッセージ自体が重いのでいつもいつも聴くわけではない分、こうして生で聴くと....。続く「YES-YES-YES」は、オフコース時代からのファンの人にはアレンジが物足りないのかも知れないけど、私は大好き。しかし高い声!拍手する力も無くなるくらい感激。

 その後バンド全員が「いつもいつも」を無伴奏で歌い、もう終わりかな、って思ったら、最新アルバムのオープニング曲「君のこと」。これはかなりインパクトのある曲だったし、メッセージ色も強いので、ギターの弾き語りといっても強く響いてきます。もうこれで終わりかと思ったら、これもまたメッセージ色の強い「生まれ来る子供たちのために」。3時間以上にも渡って歌ってくれて、小田さん、本当にありがとう。本当にありがとう。

 でも急いで三ノ宮にたどり着いて乗った新快速電車は、京都駅で最終の地下鉄に接続する電車。夕方にコム・シノワで食べたパン一切れが唯一の夕食になるだなんて...。でも心が一杯だったから、癒された気分で床に就きました。

 これがコンサート最後だなんて言わないで欲しい。。。。。
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『清教徒』 ボローニャ歌劇場公演 (びわ湖ホール) [オペラ]

puri01.jpg フローレスの突然のキャンセルが悲しくて、今日のびわ湖ホールへの足取りはとっても重く、嫌な気分でした。色々なことが頭の中を巡り、嫌な気分がスパイラルになっていました。来られている方々はそれほど怒っている様子もなく、ロビーではキャンセルで来ていないフローレスのDVDが売られている...。メトロポリタンのキャンセル騒ぎよろしく、全員にプログラム配布(うちは家族で2冊もゲット。ありがたや、あなありがたや)。そしてまず最初に歌劇場総裁からの謝罪の辞。聴いていて体が震えるほどの嫌悪感。メト公演の時のようなブーイングもなく、拍手のうちに曲が始まりました。
 そんな私も、序曲が終わり、合唱が始まると心も緩みます。あぁ、イタリアの声、やっぱしイタリアの声は違う...。それからというもの、至福の3時間でした。今回の公演は、かなりのハイレベルで、結果的にフローレスが歌っていなくてもよいかと思える内容でした。

 まず一番感激したのはヒロイン役のランカトーレです。最初登場した場面は音質が不揃いで「あれっ」っと思いましたが、歌い進めていくうちにそれもなくなっていきました。ただ、低音で胸声を使って歌う音が平べったくてとても耳障りな時がありました。しかしそれはアウフタクト部の音に多く、中音以上の音にはなかったので、しかたないのかなぁ。次に聴ける機会があれば、この音がなくなっていたらいいなぁ。
 それを除いては、コロラトゥーラもカンタンテの部分も本当に巧い。声もとても深みのある柔らかいいい声です。2幕の狂乱の場、今回の公演でフローレス・キャンセル後に使われていた宣伝の「ランカトーレ・カデンツツァ」って、この狂乱の場での2回目のヴァリアンテのことだそうで、そのヴァリアンテは、これもまた巧い。安定しているしよく響いている。しかも寝転びながらの無理な姿勢での歌唱。とってもスリリングで楽しかったです。勿論3幕でのアルベロとの二重唱もツボをよく捉えて歌う姿は憎いばかりです。それに幕切れ...。
puri02.jpg アリアや二重唱が終わるごとに盛大な拍手喝采をもらっていましたが、特にカーテンコールでは本当に嬉しそうで、主要キャストと手をつないでは、舞台前面に走り出てくる様子は心からこの公演を楽しんだという感じでした。ああ、ランカトーレ、なんと素敵な人なんだぁ。見た目もとてもチャーミングな人でした。

 その次に感動したのはテノールのアルベロ。今や世界のフローレス(日本の歌手に不義理しても、世界にはたくさんのファンがいるから大丈夫とでもいいたげな不遜さ)の代役となるとプレッシャーも大きかったでしょうが、このアルベロ、とっても綺麗な声と端正な歌で、歌い出しから気に入ってしまいました。登場のソロのハイDisを聴いて、あぁ、と、本当に胸をなで下ろしました。勿論たくさんの拍手をもらっていましたから、ご本人も安心されたんじゃないでしょうか。 
 声量がある人ではありませんでしたが、3幕冒頭のソロも端正な歌唱を聴かせてくれますし、ランカトーレとの二重唱ではハイD2回を出しながらも朗々とした旋律美を披露してくれました。また最後のコンチェルタートでは、出ましたハイF(家に帰ってからフローレスのDVDで確認しましたが、それより高い音でした)。ファルセットを使うことなく出していましたよ。しかしテノールのハイFって、もう人間の声ではないような凄い声ですね。勿論高音ばかりではありません。しっかりとアンサンブルのバランスもよく、いやはや、本当にいい歌手を聴かせてもらうことになりました。 

 フローレスのキャンセルでがっかりしていたのですが、気づいてみると、このオペラではテノールは超絶技巧を要求されてはいるものの、実際歌うのは1幕3場と3幕だけ。一番おいしいところだけ歌うという役。だから、プリマ・ドンナ・オペラと考えれば、全体はとっても楽しめるものだったのです。それにアルベロ、この5月にメトの来日公演でカウフマンの代役をつとめたヨンフン・リーに比べると、ずっと満足できる代役でした。

 腎臓結石のためにキャンセルしたガザーレの代役サルシも大健闘です。1幕1場でのソロは、とても安定していてよく伸びる朗々とした声でした。ガザーレがどんな人かも知らないので比較はできませんが(後で調べて見ると前回のボローニャ公演でルーナを歌っているのを聴いていました)、私はこの歌手でも十分満足です。骨格の関係でか、日本人のバリトンでこんな風に深みのある声は少ないから、とても気持ちよく聴かせてもらいました。
 バスのウリヴィエーリもサルシと同じく、朗々とした歌いっぷりがイタリアを感じさせ、とてもよかったのです。この役本来はバスのようで、ウリヴィエーリの声は明るくって軽めのバスだったので、2幕最後のサルシとの二重唱ではあまり区別が付きにくく、少し残念でした。

puri03.jpg  一番感心したのはベルリーニの書いた音楽が、とても甘美であり、劇的な部分もしっかり押さえてあるということでした。ストーリー展開はあまり納得がいかないものの、歌手が堂々としていて、まるで歌舞伎を見ているようでした。
 っと、残念なことは演出です。特に合唱の動かし方を見ると、これは一体学校演芸会の出し物ですかって感じです。変な手の動きも気になりますし、揃って動かないと意味がないであろうマスゲームも、バラバラに動かしている人が、いるいる何人も。ちゃんと並べない人もいたみたいだし、その辺は大変そう。

 概して、今日の演奏は本当に満足のいくものでした。ただ、だからと言って、最初からこのキャストで売られていたら、こんなに高額なチケット代を支払って買ったかというと、???です。
 今回、私の大きな反省点は、こうした外来オペラに手を出したことです。以前、ナポリ・サン・カルロ来日公演でリチートラ、前回のボローニャ来日公演でアラーニャ(いずれもマンリーコ)を聴きに行ったことがありますが、それ以来、こんなに高額な来日オペラ、羨ましくは思ったものの、実際に聴きに行こうという興味すら持っていませんでした。今から思うと、それがやはり自分の経済状態から考えると正しい選択であったと思います。
 今回はメトにしてもこの公演にしても、どうしても生で見たかったホロストフスキーやフローレスと言った、やはりスター歌手に目がいってしまったところがあります。オペラは総合芸術で、1人2人だけの手になるものではありません。そこにばかり目を向けるようでは、オペラファンとしてはまだまだ浅いものだと思ってしまいます。

 考えてみると、看板歌手が来ないからと言って、あれだけの人達が動くのですから、相当の費用もかかるでしょうし、高額であることは変わりありません。とても腹立たしい日を過ごしてきましたが、代役で来てくれた人達、オーケストラや合唱の人達、それにスタッフの人達がプロの心意気を見せてくれた公演だったと思います。(その分フローレスの評価は私の中では随分下がってしまいますが...。)

 ランカトーレ、アルベロ、他のキャストや楽団、スタッフのみなさん、日本に来てくれてありがとう。
 東京での公演も盛会になって欲しいものです。

*後述 今ではすっかりフローレスのファンに戻っております(^^;)
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ボローニャ歌劇場 ファン・ディエーゴ・フローレス キャンセル [オペラ]

「あのマリア・カラスの生の舞台を同時代に生きて享受できたオペラファンは人類史的幸運であったが、それ以来のオペラ史的至福と云えば、100年に一人のテノール、フローレスを今聴くことができることと言っても過言ではない。ハイCよりも高い音が何度も出てきて、オペラ史上最高音をテノールに要求する、本場イタリアでも上演至難な「清教徒」を遂にフローレスで、日本で実現!ランカトーレ、ガザーレ等、当代の純イタリアン・ベストメンバーの瑞々しい声を揃え、ブルーを基調とした美しい新演出の装置も見逃せない。オペラ愛好家のあなたなら、これを聴かずして何を聴く!!」

「オペラ史上の奇跡!100年に一人のテノール、フローレスによる超高音オペラ。マリア・カラス以来の歴史的な至福の体験、これを聴き逃したらオペラファン一生の悔い・・・」
(ボローニャ歌劇場びわ湖公演チラシより)

S席54,000円、A席46,000円、B席39,000円、 
C席32,000円、D席25,000円、E席17,000円

 フローレスは大好きなテノール。CDもDVDもたくさん買い込んで聴いてきました。そのフローレスが関西に来ると聴いて、なんとしてでもチケットを買いたかった。財布と相談して、32,000円で最上階の後ろから2列目の席を、昨年12月に、チケット争奪選で手に入れました。この席からは小さいだろうなぁ、でも声はよく聞こえるはず。32,000円でも分不相応。これ以上の出費はできません。
 同じ劇場の「カルメン」のカウフマンは、メトロポリタンの引っ越し公演の時に、「放射能が怖いから」来なかったから、どうせ今回も来ないだろうと思っていたら、案の定キャンセル。今回のキャンセルは「私自身、日本に行くことを非常に楽しみにしており、皆様にまずお伝えしたいことは、この数か月間、日本の皆様が直面している状況を理由にお伺いできなくなったのではありません。(本人による謝罪文より。ボローニャ歌劇場メイン・ページ)」だそう。Heldentenorを歌う現在の状況に腹立ちながらも、フローレスは何の発表もしていないから、さすがフローレスだと思っていました。
 リチートラの訃報を知り、凄くショックを受けながらも、ボローニャの「エルナーニ」の代役は誰になるのか調べようとボローニャのメインページを見てみると、フローレスのキャンセルの情報が載っていました。目を疑いました。しかも理由が理由です。

「フローレスからのメッセージ
 親愛なる日本の友人の皆さま、ファンの皆さまへ
 悲しいことに、病気を理由に9月のボローニャ歌劇場公演における「清教徒」に出演できなくなったことをお知らせしなくてはなりません。海水を飲みこみ激しく咳込んだ時に声帯の開口部分の細い血管を傷つけてしまいました。深刻な病状というわけではありませんが、この状態では歌うことが出来ません。しばらくの間休養が必要です。久々に日本を訪れることを待ち遠しく思っていました。そして、その地で大切なファンの皆さん、友人の皆さんに再び会えることも。一方で、私にとって大変特別なオペラである「清教徒」を歌うことが楽しみでした。
 これまで何度も日本を訪れました。私の心に残っているのは美しい思い出ばかりです。そして、再び日本を訪れる機会が来ることを待ち遠しく思っています。
 皆様にはご理解頂けますと幸いです。
 フアン・ディエゴ・フローレス」

 この人は日本であれだけの内容の宣伝をされていたのにも関わらず、上演ギリギリのこの時期になり、キャンセルです。プロフェッショナル失格ではないですか。
 本当は放射能が怖かったならもっと早い時期にそう言えばいいだろうし、主催者側もあれだけの宣伝を打っているのだから、このオペラの公演は中止して払い戻せばいいのではないでしょうか。
 しかも代役は、今まで名前も聞いたことのないテノールです。まだ劇場メインページにはその人の詳しい情報は載っていませんが、今日主催者側から送られてきたお詫び状にはこうあります。

「これに伴い、アルトゥーロ役は、セルソ・アルベロが演じることが決定しました。アルベロは2009年にボローニャ歌劇場「清教徒」のアルトゥーロ約として、フローレスと交代で出演しており、ベッリーニのオペラの現在最高の演奏家の人です。」

 私たちはボローニャにいてこのオペラを観るわけでもなく、交代で出演しているからといって、フローレスと同じ高額な代金を払って観る理由がないのですが...。大体、宣伝で言っていたフローレスのことはどこでどう代償を払ってくれるのでしょう。これでは納得がいきません。ちなみに今日掲載されている宣伝にはこうあります。

「イタリア、若手コロラトゥーラ・ソプラノNo.1のデジレ・ランカトーレによる「清教徒」最大の見せ場:「狂乱の場」。ここでランカトーレが繰り広げるはずの、前代未聞の、壮絶なカデンツァ(即興歌唱)は必聴!
 若きランカトーレの「清教徒」デビューは、2008年9月シチリア島パレルモ、マッシモ大劇場であったが、第二幕「狂乱の場」の場での、彼女の独自の、「カデンツァ」は、誰もが耳を疑うような、上記諸先輩からも聞いたことのない、度肝を抜くような、壮絶なカデンツァ(即興)であった。人呼んでこれを「ラントーレ・カデンツァ」と云う。ピエラッリがオリジナルの演出を手掛けた、ブルーを基調とした美しい装置も絶対に見逃せない。」

 確かにランカトーレは巧いです。フローレスとランカトーレの組み合わせをどんなに楽しみにしていたことか。しかし、最初の宣伝ではランカトーレについて、ここまで書いていなかったのに、今はこの宣伝で、完全にランカトーレ売りに換わってしまっています。それほど代役のテノールがいいのなら、その人の宣伝を一番に書けばいいのになぁ。
 
 震災以降、日本経済は大変な時期にあります。同じ日本人、お金を使うなら日本に落としたい。どうして、違う歌手に変えたイタリアの劇場に、これだけのお金を支払わねばならないのか、納得がいきません。

 怒りと無念さは、どうしても押さえきれません。

 蛇足ながら、バリトンもキャンセルで変更されています。
「「清教徒」リッカルド役変更のお知らせ
「清教徒」に出演予定でしたアルベルト・ガザーレですが、重度の腎臓結石による痛みと発熱のため、医師より15日間の安静が必要との診断を受け、来日できないこととなりました。つきましてはリッカルド役は、ルカ・サルシが演じます。何卒ご了承いただけますようお願い申し上げます。
 なお、今回の出演者変更に伴うチケットの払い戻し、公演日・券種の変更はお受けできません。何卒ご了承を賜りますようお願い申し上げます。2011年9月2日 フジテレビジョン」

 主演者が3人も入れ替わった「カルメン」に比べたらまだましかもしれません。ボローニャとフジテレビは、ここまでして、高額なチケットの払い戻しをしたくなくて、しかも歌手たちのコンディションのつけを私たち日本人、何も文句を言わない日本人におしつけたいのでしょうか。

後述:しかし随分腹を立てている文章なので、少し修正加えておきました。(2023.8)
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シューマン 「詩人の恋」「リーダークライス」 EMI Classics [声楽曲]

odaoda-cad01.jpg 8月になって、家でじっくり仕事ができるようになりました。だからステレオの前に陣取って、日頃買うだけ買って聞いていないCDを片っ端からかけながら、コツコツと仕事をしています。一生懸命考えなければならない仕事の時は、自分の仕事机でコンピュータに向かいながらするのですが、8月にする仕事は、どちらかと言うと事務仕事や機械的な処理だけで、その日の気分によってガンガンとなる音楽や、おとなしく物悲しい音楽や、色々と楽しめます。
 日頃、あまり時間がないと、大好きなイタリア・オペラ中心に聞いてしまうのですが、今回はシューマンの歌曲全集を持ち出してきて聞きました。昨年のシューマン・イヤーで、歌曲集2つ、合唱曲集、室内楽集、ピアノ曲集と5つも全集を買ってしまったうちの一つです。シューマンを聴いたのは主に30代前半、もう10年以上も前のことです。その頃は本当にシューマンの歌曲が大好きで、そのデリケートな響きを楽しんでいたものです。当時はCD買うお金もあまりなかったから、フィッシャー・ディースカウの全集を何度も何度も繰り返して聞いていました。そうして聞き込んでいるうちに、フィッシャー・ディースカウの理知的で学術的な歌唱に、なんか堅苦しさを覚えてきたのだと思います。自然とイタリアの音楽に移行して行ったものです。
 この全集は、主に男声はオーラフ・ベーア(Br)で、最近のドイツ歌曲ではゲルハーヘルしか聞いていなかったので、こうしてじっくり聞くのは初めてです。でもこのベーアの歌唱が、どちらかと言うとフィッシャー・ディースカウの対極にあるような歌唱で、とても朗らかで、伸び伸びしているのです。声の響き自体が気持ちよく、伴奏もジェフリー・パーソンズだから安心で、ずんずんと聞き進めました。
 聞いていたのは「詩人の恋」と「リーダークライス24」と「リーダークライス39」ですが、ベーアの歌唱は、まったく身構えたところがなく、とても自然体です。多くの歌手が一番上の旋律を歌うところでも、この人は下の旋律を歌います。またどの曲も柔らかく、とても優しい響きがします。この3つの歌曲集では、実は私は「リーダークライス24」はあまり好きではありませんでした。フィッシャー・ディースカウだと、少し大仰に聞こえ、あまりに皮肉っぽく響く箇所が多かったからです。ベーアはもっと詩を率直に受け止め、その情感を大切に歌い出すところがありました。「詩人の恋」も、月並みですが実はヴンダリッヒのが一番好きだったりして、やはりこの歌集はテノールだなぁと思っていましたが、いやいや、このベーアの歌う「詩人の恋」も格別でした。

 今年の夏は節電節電でクーラーも入れず、未だに真空管4本を灯して音を出すアンプを使っていると、部屋の中が暑くてたまりませんが、窓を開けてステレオをかける時に楽しめる開放的な音と、こんな風にのんびりと音楽をかけながら仕事ができることは、私にはたまらない喜びです。これがずっと続けばいいのになぁ。

PS: とは言うもの、フィッシャー・ディースカウはドイツ歌曲となると神様です。事典的な人で、本当に素晴らしい人だと思います。ベーアみたいな朗らかな路線が聞けると、ドイツ歌曲もバラエティが広がって、今までのフィッシャー・ディースカウ一辺倒の時代とは違って、嬉しいなぁ、ってことなんです。フィッシャー・ディースカウの歌が嫌いだなんてことは決してありません。
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劇団四季 「オペラ座の怪人」 京都劇場 [ミュージカル]

odaoda.jpg 8月に入って、京都劇場の「オペラ座の怪人」を観てきました。前回大阪・ハービスエントで観た時、このミュージカルはもう劇団四季で観なくてもいいかなぁ、と思っていたのですが、会員情報誌が千秋楽だ千秋楽だって強く宣伝されているし、一度母親を連れてやってもいいかなぁと思い、京都のが終わる前に観に行ったわけです。

 舞台に向かって右側の真ん中通路側、前から3列目で、クリスティーンがこっちを向いて歌ってくれる回数が多かったのが嬉しい席でした。2幕最初の仮面舞踏会では、階段の上の方の人が見えなかったのが唯一の難点でした。

 何度も繰り返して聞くと、手のひらを返したようなクリスティーンの仕打ちや、ストーカーまがいのファントムの性格付けに、理性的には受け入れられなくなるような点も多いのですが、曲の美しさとストーリー展開、特に2幕でのたたみかけていくような展開は、本当にこのミュージカルの一番の魅力です。何度観てもワクワクしながら観てしまいます。
 ただ日本語訳にかなり問題があると思います。メロディーの美しさを損ねる字余りの言葉はまず大きな問題だと思います。確かに現代語に訳すのは大変だと思うのですが、できれば原曲のリズムにもう少しあった訳詞付けをして欲しかったです。また日本語でもいいのに英語やフランス語にしたりする点は、外国語に不慣れな年輩の人達、たとえば私の母などには、何を言っているのかわからないと思います。字で読むならそれなりに反芻して考えられるのですが、歌詞となると一瞬で終わってしまいます。「天使」「エンジェル」や「ムッシュ~」「~さん」の混在など、できれば日本語に統一した方がいいと思います。

 配役では、ラウルの中井智彦さんがなんせとってもうまく、本当に感激しました。母音もとても綺麗にそろえて歌っているし、声も綺麗だし、ハンサムだし、その若々しさもラウルに適切な配役です。ラウルは舞台でもCDでもあまり気に入った演奏がなかったので、今回は本当に嬉しかったです。劇団四季で歌うのはこれがデビューだとかで、そうには見えない堂々とした歌いっぷりは素晴らしかったです。
 クリスティーンもがんばっていましたが、クリスティーンって、大体だれがやってもあれくらいはしっかり歌ってくれるものだと思いました。
 問題はファントムで、声も男っぽくかっこいいし、中音以下もよく響く素敵な声なのですが、高音が出ない。高音がどれも割れているか叫んでいるか、悪いときは裏返ってしまうかで、その度に興醒めしてしまいました。たくさんのファンがいるみたいで、真ん中席の前の方の人達は、みんなウルウル目で見つめられていましたが、あの高音は、如何せん私はいただけません。1曲に必ず数回は出てくるのですから、他の何がよくっても、私は喝采というわけにはいきませんでした。前回大阪・ハービスエントで観た時のファントムも同じようにベテランの人だったと思いますが、この人も高音が出ず、最後は本当に聞きづらかった....。

 とは言うものの、合唱も素敵だし、立ち振る舞いも立派だし、やはり生で見るのはいいなぁと思った公演でした。
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喜歌劇『こうもり』 佐渡裕指揮 兵庫県立芸術文化センター [オペラ]

m_fledermaus1.jpg 今年も西宮で佐渡さん指揮のオペラを観る季節になりました。私たちも今年で5年目。肩肘張らないオペラ上演で気楽ですし、今回はシャンパン気分のオペレッタですから、なおのこと楽しみに出かけました。
 今回もダブルキャストですが、今回はキャストを確認せずに日程だけで申し込んでしまいました。カウンターテナーのコヴァルスキーとざこば、剣幸の3人は共通ですが、私たちはロザリンデを佐々木典子、アデーレを小林沙羅、アイゼンシュタインを小森輝彦というセットの日で観ました。キャストをチェックして買っていたら、前回の椿姫での感動もさめやらない森麻季のアデーレ、塩田美奈子のロザリンデの方を絶対買っていたと思いますが、それも後の祭り(実際そちらのセットはかなり早く席が売り切れていました)。折角いい席を手に入れたのだからと、まだ聞いたことのない佐々木典子、小林沙羅がどんな歌手なのか楽しみに出かけることにしました。

 阪急西宮北口駅で特急を降りると、「こうもり」を観に行くとおぼしめきドレスアップした人達がせっせと歩いています。さすが宝塚の劇場体験に慣れた人達が多い場所柄、歩く姿に堂々としたゆとりさえ感じられます。
m_fledermaus2.jpg 席はステージ下手ブロック、真ん中の通路側の最前列でした。座ると、以前やった「メリー・ウィドウ」と同じように、オーケストラピットの前に渡り廊下風のステージがあり、少しワクワクした気分になりました。その通路の下側にある、オーケストラピットと客席の間の壁は、格子に布製のものが張ってある風のもので、音をとてもよく通しました。私はヴァイオリンの前辺りだったので、いつもなら少しバランスの弱い弦がよく聞こえてきてよかったです。

 まず演出から感想を述べさせてもらいますと、「メリー・ウィドウ」の時と同じでコテコテの関西風といった感じで、「吉本かい」とつっこみを入れたくなるようなものでした。「こうもり」は唯一ウィーン国立歌劇場でかかるオペレッタで、「メリー・ウィドウ」とは少し格が違うので、少し下世話過ぎる感じがありました。
 3幕を2部構成にしたのも、「メリーウィドウ」と同じだと思いますが、「こうもり」は2幕が華やかで、ドンチャン騒ぎがあるかと思えばストーリー展開に関わる重要な箇所もあり、途中で切ってしまうとその緊張感が切れるような気がしました。ポルカ「雷鳴と稲妻」は大好きですが、幕間の曲としての扱いより、パーティのガラ・パーフォーマンスとして踊りまくってもらった方が楽しかったと思います。本来なら2幕で明かされる「こうもり」の由来も序曲演奏時に字幕で出ていましたが、2幕を切ってしまうことでかなりのしわ寄せがあちこち出たのではないでしょうか。
 本編終了後のレビューは、「メリーウィドウ」の時は、劇中の有名な曲を落ち着いて聴かせてくれて嬉しかったですが、今回はウィーンに関する歌を使って、登場した歌手がそれぞれの声を聞かせるといった風情で、私は「メリーウィドウ」の時の方が豪華に聞こえました。
 張り出し舞台で合唱が歌ってくれるのは、一番前の席に座っている者としては至福の喜びでした。一人一人の声が本当に直接手に取るように聞こえてくるわけですから、迫力があって楽しかったです。
 総じて言うと、もうこの路線は今回まででいいかなぁという気がしました。

 歌手の人達はどの人も芸達者な人でした。とても楽しそうに演じていて、それだけでも楽しかったです。
 アデーレの小林さんは、とてもチャーミングな人で、役にとってもあった感じで、とても好印象でした(森さんならそんな風にはなってなかったかも...)。歌もとてもよくがんばっておられましたが、幕を追って荒くなっていく感じがあり、少し残念でした。特に3幕の早いパッセージがあるソロは、音程が少し不安定で、よく聴く曲だけに残念でした。
 ロザリンデの佐々木さんは、登場人物の中で一番日本語のことばがわかりにくく、佐々木さんの時だけ字幕を見なければなりませんでした。発声もこもったように聞こえてきて、最初は残念に思っていたのですが、2幕の懐中時計で口説かれるシーンで、私の真ん前の張り出し舞台に座って歌われ、直近で聞くと本当に美しい声で、そのとき以来、好感を持ってきくことができました。
 アイゼンシュタインの小森さんは、動きは楽しいのですが、声が顔の表情と同じでとても硬く、かなり重要な役だけに残念でした。
 オルロフスキーのコヴァルスキーさんは、やはりこの役はカウンターテナーでは少し違和感があり、日本語歌唱もわかりにくく、海外から来てもらった著名な歌手なのですが、少し浮いた感がぬぐえませんでした。折角だし日本人のズボン役でも良かったのではと思ってしまいます。
 ざこばさんは以前よりリラックスして、佐渡さんと漫才(?)をするくだりなどとても楽しかったです。また剣さんはアンコール時にマイクを通してですが歌われ、これもちょっと得した気分でした。

sadosign.jpg いつも通りTシャツを買って、佐渡さんのサインをもらいました。握手してもらって、いつも通り一緒に写真を撮ってもらいましたが、今年の佐渡さんはとてもお疲れの顔に写っていました。大丈夫かな。でもいつも通り、気に入った色はほとんど売り切れで、サイズもLは売り切れと、もう少し準備しておいて欲しいと思いました。明日再入荷しますだなんて書かれても、当日の私たちには意味がないですし。

 その後は京都に戻って、久しぶりに瓢樹でお食事。とても贅沢な一日でした。
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